
- 寝ても覚めてもギャンブルのことばっかり考えてしまう。
- 仕事中も上の空。人と話をしてても、心ここにあらず。
- お金は底をつきそうなのに、それでもやめられない。
- 手をつけてはいけないお金に、手をつけてしまう。
これらはれっきとしたギャンブル依存症の人の特徴です。あなたは当てはまっていませんか?
もし当てはまっているなら、きっと生活に支障が出ているはずで、一刻も早く治したいと思っていることでしょう。
僕も大学生時代からパチスロにハマり、社会人になってからも数年間はヘビーに依存していましたが
何度も挫折しつつ、なんとか完全に足を洗うことが出来ました。
今回は僕の実体験を晒しつつ、ギャンブルにハマる原因、そしてそれをどうやって克服したのかを紹介していきます。
同じくギャンブル依存症で苦労されている方にとって、少しでも参考になれば嬉しいです。
目次
ギャンブルにハマるきっかけ
上で書いた通り、僕は大学時代からパチスロにどっぷりハマっていました。
初めてパチスロを打った時のことは今でも覚えています。
友達に誘われるがままにパチンコ屋に一緒に行き、とりあえず座ったスロット台に1000円だけ突っ込んだら
よく分からないまま40000円になって返ってきました。
いわゆるビギナーズラックというやつですね。

普通にありがちですが、
僕はそれを味わってしまったのがきっかけで頭のネジが外れ、以降パチスロにのめり込んでいきました。
友達と行ったのはもちろん、1人でも普通に毎日のように打ちに行ってました。
イベント時には前日の晩の閉店間際に店へ行ってデータ取りをし、次の日にどの台を狙うか決めてから翌朝早々に店へダッシュするなんて事も。
ギャンブル依存症になるとどうなるか
言うまでもありませんが、トータルはかなり負けてました。
一時期はパチスロで高設定を打ち続けたら収支プラスを積み重ねられるんじゃないか?
(パチスロでは内部設定が1〜6まであり、店員さんの裁量で決められる。設定6が1番勝ちやすいスペックとなってる)
と考えていた時がありましたが、所詮地元の近くの店何軒かを回ってるだけ。
高設定の台を打ち続けられる訳もなく、結果負け込んでいきました。
負けばっかりなのに何故続けていたの?
と、ギャンブルにハマった事ない人なら思うかも知れませんが、
多くの負けの苦痛を打ち消して余りあるほど、少ない勝ちの経験が強烈に気持ち良いんです。
- 7が3つ揃うときの演出
- ボーナスゲームでコインがジャラジャラ出ている瞬間
- ドル箱にコインをパンパンに詰めてる時の優越感
など、ギャンブルにハマらせる要素はたくさん詰まっています。
いわゆる、射幸心を煽るというやつですね。
依存症になってしまう原因は、そんなところから生まれます。
ギャンブル依存症になると本当に大変です。
何もしてても四六時中それについて考えてしまいますし、何より散財が激しくなります。
1日に2、3万円なんてザラに負けます。ひどい時には1日で10万円以上やられる事もありました。
せめて財布が空っぽになったタイミングでやめてりゃいいのに、

とムキになり、ATMまでお金を下ろしに走ってまた同じ台に戻る。
なんて時がちょいちょいありました。どうしようもない状態ですね…。
依存症がひどくなると、他人にお金を借りてでも打ちに行こうとしてしまいます。こうなったらいよいよ最悪です。
ギャンブルするから金貸してとか、本気で人間関係崩壊しますから。
自分は他人に迷惑をかけるまではいかなかった(はず)ですが、依存症には十分に当てはまっていました。

・・・辞めなければ!!
と何度も思いましたが、時間があるとついついパチンコ屋にふらっと行ってしまい、なかなか辞められませんでした。
ギャンブル依存症を克服するには
ギャンブル依存症に克服する方法は様々だと思いますが、僕が実際に効果的だと思った方法を2つだけ紹介します。
他にハマれるものを見つけ、没頭する
なぜ自分がパチンコ屋に行く足を止められないんだろうと考えてみると、ある一つの答えが思い浮かびました。
それは、
僕がヒマだから。
確かにヒマしてました。
他にこれといった趣味もない上に、社会人になるときに引っ越しをしたため周りに友達もいなかったし。
実際、パチンコ屋に入り浸っている人ってまず間違いなくヒマですよね。
これ、偏見でもなんでも無く、事実だと思います。
どれだけパチスロを辞める決意を固めても、それに代わる楽しみを見つけられない限りは
心にぽっかり空いた穴に”アイツ”はすぐに戻ってきてしまうのです。
だったらヒマじゃなくなればいいんだ!と思い、まずは他にハマれるものを探しました。
そのときに見つけた趣味が以下の通り。
- ダーツ
- サイクリング
- スマホゲーム(これはこれで依存症になって大変でしたがw)
そして、それらの趣味を一緒に楽しめる友達もその後見つけて時間を共有することが増えていくうちに、パチスロのことを考える頻度が徐々に減っていきました。
ギャンブルがいかに損な行為なのかを知る
あと、もう一つ。
資産運用をはじめたというのが、パチスロ依存から脱却するのに非常に役立ちました。
投資の勉強をしているうちに、ある興味深い本を読む機会がありました。
その中の学びとして、ギャンブルした時の期待値を計算してみるというものがあります。
例えば、以下のように考えます。
①30%の確率で、30000円勝つ。
→30000円×0.3(30%)=9000円
②70%の確率で30000円負ける。
→-30000×0.7(70%)=-21000円
よって、期待収益は
9000円-21000円=-12000円
はい、完全にマイナスです。
ちなみに上の勝率および勝ち負け額の例は、僕が長年打ってきた中の平均で弾き出した期待値になってます。
(まあ、正確にはもっと高い確率で負けてたかも…)
この結果を初めて見たときは愕然とし、同時に、パチスロに行くのが心底アホらしくなったのを覚えています。
パチスロを本気で仕事として考えてる人(パチプロ?)なら、勝率を上げたり負け額を抑えたりをシビアに追求して期待値をプラスに持っていくのでしょうが、ギャンブル依存症の人はまずそんな事考えられません。
勝てるかどうかは関係なく、そこに台があるから打ってしまうんです。もはや勝負にすらなっていません。
そりゃ損失はどんどん膨らむばかりですよね…。まさに時間とカネの無駄。
そんなこんなで、僕はパチスロ依存症を今では完全に克服することが出来ました。
もうパチンコ屋に行きたいと思う事もありません。
友達とワイワイやったり、名機と呼ばれる台を打ったり等、確かにパチスロをしてて楽しいと言える事はそれなりにありました。
でも、あの頃にもっとマネーリテラシーが備わってれば人生また違ったんだろうな、とも考えてしまいます。
若気の至りとは言え、そこは非常に後悔しています。
お金も時間も、もっと使い方を考えれば良かったなと。
まとめ
僕がパチスロ依存症を克服出来た方法をもう一度まとめます。
色々試しましたが、この2つが僕にとって特に効果的でした。
- ①ギャンブル以外にハマれることがないというのが、最も良くない状態。
- 他にハマれるものを見つけて没頭することで、ギャンブルのことを考えるヒマをなくす。
- ②ギャンブルは一時的には勝てるが、長期的には収支がほぼ100%マイナスになる。
- やればやるほど損失が膨らむのは確定的。
- ギャンブルにハマっている事がいかに損な行為なのかを、感覚ではなく数字で、具体的に自覚する。
ギャンブル依存から脱却する方法として、
- お金を物理的に下ろせないようにする
- 家族にお金を管理してもらい自由に使えないようにしてもらう
といったことも聞きますが、
これは全くと言っていいほど意味のない行為です。
こんなことをしたところで、自分自身がギャンブルをヤメたいという気持ちが変わるわけないですよね?
ダイエットのために断食を試みるのと全く同じです。
一時的には効果があっても、その縛りをなくした瞬間にリバウンドでさらに症状がひどくなることすらあります。
そうではなく、ギャンブルにハマってしまう根本的な感情を取り除き、二度と再発しないように工夫するということが重要です。
それが、上で僕が挙げた2つの方法というわけです。
ちなみに
投資を始めてからというものの久しくパチンコ屋には行ってなかったのですが、先日、試しにパチンコ屋に入ってみました。
そこで感じたのは、なんとも言えないような負のオーラ。
明らかに大当たりが少ないクソ台ばかりなのに、店内は空き台ほとんど無し。台選び適当。

勝つ気無いなら何のために打ちに来てんだ?ヒマだから?他にやる事ないのか?
なんかもう気持ち悪い…!この人らと同じ空気を吸いたくない!
と急にゾッとし、すぐに店を出てしまいました。
昔は居心地が良いとすら思っていた場所が、今では不快で仕方ない場所に変わっていました。
もう僕がパチンコ屋に依存する事は二度とないと確信出来た瞬間でした。
それもこれも、僕自身がこの数年間マネーリテラシーを学び続けたことで、正しいお金の使い方について自分の頭にしっかりインプット出来た結果だと思っています。
どうせお金をリスクに晒すなら、さっさと投資の勉強を始めて実践していった方が何万倍も有意義だということが理解できたからですね。
おそらく今ギャンブル狂いになってしまっている人は、単に知らないだけなんだと思います。
投資という、もっと建設的・効率的・永続的にお金を大きく育てる手段があるという事を。
投資という存在を知り、学んでいく機会さえあれば、絶対にギャンブルしてるのが馬鹿らしくなるはずだと心から思います。
一人でも多くの人が、それに気づいてくれることを願っています。